休職日記 3  野球少年

前回は、小学生時までを振り返ってみました。

 

今回は中学生時について書こうと思います。

 

小学生が野球人生のピークと信じ、無双していると勘違いしていた私はそのまま同じ仲間と近所の中学校の野球部に入部しがんばろうと思っていたのですが、夏休みに急遽いわゆる地方へ転校することになり、6年生の夏休みに縁もゆかりもない地へと移りました。

 

夏休み中だったので、持病であった円盤状半月板の再腱手術を行い、中学野球に備えることにしました。再腱といっても結局、半月板はすでに限界だったので全摘出になりました笑

 

転校しても野球が人をつなげてくれるのでいい友人に恵まれて中学校へ上がることができました。

 

いざ、中学野球が始まると、まぁぬるいぬるい笑

集合時間も守れない、背番号の位置もガタガタ、制服のまま練習する奴もいてるわのひどいもんでした。(荒れてる学校とかではありません笑)

 

新チームからは投手を任され、先輩に受けてもらってのノビノビと投げれました。ノーノーとパーフェクトを1回ずつ達成して完全に私は天狗でしたね笑

思い返すと恥ずかしい限りです。

 

そして自分の代になり主将にも選ばれ始動となったわけですが、今まで受けてもらった先輩に代わるキャッチャーがいないことで後輩が受けることになったのですが、まったく捕れず、なぜか私のほうがイップスになり投手を降りました笑

 

先ほども申し上げた通り、チーム自体は頑張らないチームなので練習は基本的にやりたいことを各自がやるだけでした。この時点で高校野球を見据えていたのは私だけだったので目の前の練習というより、高校野球を見据えた練習を常に心がけました。

 

結構、孤独でチームからは浮いた存在になっちゃいましたけど、対戦相手の監督からはいつも「腐るなよ」「高校野球で思いっきりやるんや」など第三者からの言葉は本当に沁みました。

結果的には中学三年の中体連の試合が終わった後に、市の選抜に温情で選んでいただくことになりました。実力じゃないところが悔しいですけど笑

 

環境は大事だとすごく感じます。この中学時のだらしないチームのおかげで昨今よく聞く「考える力」というのは身に付いたかなと感じます。まだ、スマートフォンYouTubeに情報が溢れているわけではなかったですし。

参考にしたのは、連続写真ぐらいでした。

練習メニューも自分で考えて、トライ&エラーの繰り返しでしんどいなりに楽しみも見出してました。

 

いわゆる、引退をして周りが受験勉強となるところを毎週土日は父の車で硬式野球のチームで練習をしていました。年内まで笑

 

高校野球は甲子園より大学野球まで続けたいと思っていたので確率的なもので進学校に行くべきだろうと考えて年明けから冬季講習に通って、受験勉強自体は一か月だけで合格を勝ち取れました。

 

次回は、高校野球について書こうと思います。私にとってはまぁまぁの黒歴史です。