休職日記 4  野球少年

高校野球まで来ましたね。

 

智辯和歌山高校が優勝しましたね。甲子園大会を見るたびに当時のことを思い出します。改めて、強豪校とは非なる、公立進学校がどのようなものか私の主観だけで振り返ってみます。

 

私が入学した高校は現役で学年の90%が現役で大学進学をする高校でした。田舎でしたので全体として80%は国公立大へ進学をします。私は数少ない10%の私立大へ進学しました。(両親に感謝です笑)

特殊な学校でしたので、スポーツクラスがあり35人クラスの全員は指定校推薦、もしくはスポーツ推薦で大学進学を目指すクラスがあります。公立高校ですよ?

私は一般入試でありながら、授業についていけず赤点を取りまくったので、職員会議にかけられて、スポーツクラスへの編入を認められるという堕落っぷり。

 

私が入部した野球部は、1回戦に勝つことが目標だったと言っても過言ではない高校でした。その割には推薦入部で学年に1,2人くらいは有望な選手が入部します。有望と言ってもこの部においてという感じです。

 

それでも、甲子園と現役合格を目指すという監督の方針には辟易としていました。

 

偏差値が70を超える高校に入部しておきながら、甲子園を目指そうはさすがに無理があると思わざるを得なかったです。甲子園が狙える高校に入れる中でこの高校に入っているわけで、全員の中で甲子園より大事なのは大学合格です。

 

かなり擦れた考え方ですけど、それでも野球は好きなので一生懸命しました。ただ、皆さんが思うような高校球児ではありませんでした。あくまでも教育者であり、野球を教えられるような人ではない方が監督ということが意味不明でした。

試合でも、学業が振るわないものは試合に出さないということで、勝てる試合を落とし、負ける試合は当然のように負ける。

「甲子園」は麻薬だと思います。どんな無能な集団でも、甲子園のためにと思えば無駄なこともやれてしまうんですから。擦れた考えをしてた私でも、野球には真摯に向き合いたいのでそれなりには頑張りました。

 

金属バットと硬球の組み合わせはそれはもうたまりませんよ笑

高校では練習試合だけですが10本も本塁打を打てたことは誇りです。

 

結果として、3年生時に1回戦を勝ち、新聞に掲載されました。どんだけ弱いのかこれでお判りでしょう。

 

文句ばっかり垂れてますが、明日、大学野球を振り返ったのちに、野球観について書こうと思います。