休職日記 5 野球少年

最後です。大学野球について振り返ってみます。自分の中で一番、野球について学ぶことができた4年間だった期間です。

 

私は、最後の夏の大会を終えた1週間後に指定校推薦で関西圏の大学へ進学することが決まりました。

進路が決まった後は、同い年の甲子園をテレビで毎日観戦しました。同時に硬式野球部への入部にはセレクションがあるとHP上でアナウンスがあったので進学先でも野球を続ける同期と練習を続けました。

甲子園大会が終わった時点でスポーツ推薦入部者の情報も出回り、自分と同期になるチームメイトは優勝校の選手、各県の強豪校の選手ということで衝撃でした笑

 

なんとか、セレクションは1発で合格し無事に入部することできました。

入部式は本当に忘れられない日でした。ついこの間までテレビでインタビューや熱闘甲子園で特集されていた選手が半分はいましたから笑

 

入学前の練習でノックがありました。1年生はもちろん張り切ってやります。僕もそうです。しかし、完全に田舎にいて実力を勘違いしていました。

「遠慮するな。もっと強い球を投げろ」「サードのポジショニングはもっと後ろ」「本気で投げてるのか?」

 

と、まぁ散々でしたわ笑

全力で投げても周囲の実力に遠く及ばない。まさか、大学に入学する前に鼻っ柱へし折られました。なにもかも、足りませんでした。

 

かくして、入学式を終えたらすぐリーグ戦も始まりました。同時に1年生として奴隷生活もしました。テレビや書籍で見かける分は冗談かと思ってましたが実際はボロクソになります。

寮の掃除、先輩の衣類の洗濯、起床係、練習前後の準備手伝い、酒席への参加、まぁなんでもするんです笑

暴力は当たり前です。どこの人間が最近は甘くなったとか言ってるのか知りませんが、大人たちが経験してきた暴力とはまたレベルが違います。

SNSへの拡散など+αの部分でもいじめられます。

 

それでも、私自身は補欠なりに野球が好きでしたのでその気持ちだけで耐え抜きました。

高校とは違って、練習自体はアップ、キャッチボール、ノック、バッティング、ランor体幹トレだけです。

ただ、ここから自主練習が長いんです。帰るのもよし、ウエイトもよし、何でもありです。私は先輩に教えを乞うなどして技術の向上に努めていました。

自分のことを理解している者だけが充実した、自主練習を行えます。

それは深く感じました。欠点や長所、現在の置かれている役割などすべての要因を加味して取り組まなければなりません。

 

私は、選手としての限界をスタートの時点で感じていたのでいつでも選手をやめる覚悟がありました。結果として、持病の膝の故障で走ることがままならくなり、イップスも重症化したので3年に上がるタイミングでフロントに入りました。

主に120~130名の2軍の管理です。

 

この経験は大きかったです。教える側になったのですから。教えるといっても私のような田舎侍が才能あふれる同期、後輩たちに教えることは多くはありません。

 

大事なのは根拠のある自信を持たせることです。そしてそのために選手とその根拠、自信を作り上げることです。教えるというより気づかせることに注力しました。

 

共に頑張った、選手が1軍で活躍するのを見るのは感動でしたしそれが喜びでした。

 

プレーヤーよりもコーチングのほうが自分に合っていたことに気づけたことも大きな気づきでした。

 

駄文ですいません。

 

次は、昨今の高校野球以下のカテゴリで見受けられることについて書こうと思います。

指導者目線や、アングラなところを書こうと思います。